セロ弾きのゴーシュ(Gauche the Cellist)
宮沢賢治(Kenji Miyazawa)
(1)
Gauche is a diligent but mediocre cellist who plays for a small-town orchestra, The Venus Orchestra, and the local cinema in the early 20th century. He struggles during rehearsals and is often berated by his conductor during preparations for an upcoming performance of Beethoven's Sixth Symphony (the Pastoral Symphony).
ゴーシュは町の映画館の楽団で
チェロを弾いていました。
けれども、あまり上手ではない
という評判でした。
実は、その楽団のメンバーのなかでは
一番下手でした。
だから、いつでも指揮者に
いじめられるのでした。
ひるすぎ、みんなは
部屋で、まるく並んで
今度の町の音楽会で演奏する
交響曲第六番の練習をしていました。
トランペットは、一生懸命、歌っています。
バイオリンも、二色の風のように、鳴っています。
クラリネットも、ボーボーとそれを手伝っています。
ゴーシュも
目を大きく開けて
楽譜を見つめながら
弾いています。
突然、ぱたっと指揮者が両手を鳴らしました。
みんな、ぴたりと
曲をやめて
静かになりました。
指揮者が怒鳴りました。
「チェロがおくれた。
トォテテ テテテイ、
ここから、やり直し。はいっ」
みんなは、今のところの少し前のところから
やり直しました。
ゴーシュは顔をまっ赤にして
額に汗を出しながら
やっと、いま言われたところを通りすぎました。
ほっと安心しながら、
つづけて弾いていますと
指揮者が、また、手をぱっと叩きました。
「チェロっ。
チューニングがおかしい。
困るなあ。
ぼくは、きみに、
ドレミファを教えているひまは、ないんだがなあ」
みんなは、気の毒そうにして
わざと、自分の楽譜をのぞき込んだり
自分の楽器を弾いてみたりしています。
ゴーシュは、あわてて、
弦を合わせました。
これは、じつは
ゴーシュも悪いのですが
チェロもずいぶん悪いのでした。
「今の前のところから。はいっ」
みんなは、また、はじめました。
ゴーシュも、口をまげて
一生懸命です。
そして、こんどは、かなり進みました。
いい調子だと思っていると
指揮者が、おどすような姿勢をして
また、ぱたっと手を叩きました。
またかとゴーシュは、どきっとしました
が、ありがたいことに
こんどは、別の人でした。
ゴーシュは、そこで
さっき、自分のとき、みんながしたように
わざと、自分の楽譜へ目を近づけて
何か考えるふりをしていました。
「では、すぐ今の次。はいっ」
それ!と、思って弾き出したかと思うと
いきなり、指揮者が足で床をどんと踏んで
どなり出しました。
「だめだ。
このへんは、曲の心臓なんだ。
それが、こんなに、騒がしくて……。
みなさん。
演奏会まで、もうあと十日しかないんだよ。
音楽を専門にやっているぼくらが
あんな趣味でやっているような町の連中に負けてしまったら
一体どうするんだ。
おいゴーシュ君。
君には、困ってしまう。
君の演奏には、表情がない。
怒るとか、喜ぶとか、そういう感情が
全く、ないんだ。
それに、どうしても
他の楽器と、ぴったり合わない。
いつでも、きみだけ
ほどけた靴のひもを引きずって
みんなのあとを歩いているようなんだ。
困るよ、
しっかりしてくれないとねえ。
君一人のために、
この立派な楽団の評判が下がってしまったのでは
みんなにも、申し訳ないからな。
では、今日の練習はここまで、
休んで、六時には、遅れずにボックスへ入ってくれ」
みんなは、おじぎをして、
それから、たばこをくわえてマッチをすったり
どこかへ、出て行ったりしました。
ゴーシュは
その汚れた箱のようなチェロをかかえて
壁の方へ向いて
口をまげて
ぼろぼろ涙をこぼしました。
が、
しばらくして気持ちが落ち着くと
彼一人だけ、今やったところを、
はじめから、しずかに、もう一度、弾きはじめました。