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Kenji Miyazawa: Gauche the Cellist セロ弾きのゴーシュ(6)


(6)


The Sixth Symphony concert was a great success. In the dressing room, the conductor asked a surprised Gauche to play an encore. Upon hearing the applauding audience, Gauche thought he was being made a fool of and again played "Tiger Hunt in India". Afterward, everybody in the dressing room congratulated him.


それから、六日目むいかめの晩ばんでした。


楽団がくだんの人ひとたちは

町まちのホールの裏うらにある、ひかえ室しつへ、

みんな自分じぶんの楽器がっきをもって、

舞台ぶたいから帰かえって来きました。

(ホール:a hall)
(ひかえ室しつ:green room)
(舞台ぶたい:a stage)


交響曲こうきょうきょく第六番だいろくばんを上手うまく演奏えんそうし終おえたのです。


ホールでは、拍手はくしゅの音おとが

まだ嵐あらしのように鳴なっています。


指揮者しきしゃは、ポケットへ手てを入いれて

拍手はくしゅなんか、どうでもいい、というように

のそのそ、みんなの間あいだを歩あるきまわっていましたが、

じつは、とても喜よろこんでいるのです。


みんなは

たばこをくわえて

マッチをすったり

楽器がっきをケースへ入いれたりしました。


ホールは、まだ、拍手はくしゅが鳴なっています。


いや、拍手はくしゅの音おとは、段々だんだん大おおきくなって行いきます。


大おおきな白しろいリボンを胸むねにつけた司会者しかいしゃがはいって来きました。


「アンコールに、

 何なにか、短みじかいものを、お願ねがいできませんか」

(アンコール:an encore)


すると、指揮者しきしゃが

怒おこったように答こたえました。


「それは、いけません。

 こういう大おおきな曲きょくのあとでは

 何なにをやっても

 上手うまく行いかないんです」


「では、代かわりに、ちょっと挨拶あいさつしてください」


「だめだ。

 おい、ゴーシュ君くん、

 何なにか弾ひいてやってくれ」


「わたしが、ですか?」

ゴーシュは、驚おどろきました。


「君きみだ、君きみだ」

バイオリンの人ひとが、

いきなり顔かおをあげて、言いいました。


「さあ、行いってくれ」

指揮者しきしゃが言いいました。


みんなも、チェロを無理むりにゴーシュに持もたせて

戸とをあけると

舞台ぶたいへと、ゴーシュを押おし出だしてしまいました。


ゴーシュが、チェロを持もって、舞台ぶたいへ出でると

みんなの拍手はくしゅは一層いっそう大おおきくなりました。


わあと叫さけんだ人ひともいました。


「どこまで、人ひとを馬鹿ばかにするんだ。

 よし見みていろ。

 インドの虎狩とらがりをひいてやるから」


ゴーシュは、すっかり落おちついて

舞台ぶたいのまん中なかへ出でました。


それから、あの猫ねこが来きたときのように

まるで怒おこった象ぞうのような勢いきおいで

虎狩とらがりを弾ひきました。


ところが、客席きゃくせきの人ひとたちは

静しずかに、一生懸命いっしょうけんめい、聞きいています。


ゴーシュは、どんどん弾ひきました。


猫ねこが、顔かおから、ぱちぱち火花ひばなを出だしたところも

過すぎました。


戸とへ体からだを何度なんどもぶつけたところも

過すぎました。


曲きょくが終おわると

ゴーシュは、もう、

みんなの方ほうなど見みようともせず

ちょうど、あの時ときの猫ねこと同おなじように

すばやくチェロをもって、楽屋がくやへ逃にげ込こみました。

(楽屋がくや:green room)


すると楽屋がくやでは

指揮者しきしゃや仲間なかまが、みんな

何なんの話はなしもせずに、静しずかに座すわっているのです。


ゴーシュは、

みんなの間あいだをさっさと歩あるいて行いって

向むこうの椅子いすへ、どっかりと座すわりました。


すると、みんなが一度いちどに

顔かおをこっちへ向むけて、ゴーシュを見みましたが

やはり、まじめで

べつに笑わらっているようでもありませんでした。


「今夜こんやは変へんな晩ばんだなあ」

ゴーシュは思おもいました。


ところが、指揮者しきしゃが立たって言いいました。


「ゴーシュ君くん、

 よかったぞ。

 あんな曲きょくだけど

 ここでは、みんな、かなり本気ほんきで聞きいてたぞ。


 一週間いっしゅうかんか十日とおかの間あいだに

 ずいぶん上手じょうずになったな。

 十日前とおかまえとくらべたら、まるで赤あかん坊ぼうと兵隊へいたいだ。

 やろうと思おもえば、いつでも、やれたんじゃないか、君きみ」


仲間なかまも、みんな立たち上あがって

「よかったぜ」

とゴーシュに言いいました。


「いや、体からだが丈夫じょうぶだから

 こんなこともできるんだよ。

 普通ふつうの人ひとなら、死しんでしまうからな」

指揮者しきしゃが向むこうで言いっていました。



***


When he came back to his house, he opened the window where the cuckoo had hit its head and felt sorry for his actions.


その晩ばん遅おそく、ゴーシュは

自分じぶんのうちへ帰かえって来きました。


そして、また

水みずをがぶがぶ飲のみました。


それから窓まどをあけて

いつか、かっこうの飛とんで行いった遠とおくの空そらを眺ながめながら

「ああ、かっこう。

 あのときは、すまなかった。

 おれは怒おこったんじゃなかったんだ」

と言いいました。

(すまない:to be sorry)


Kenji Miyazawa: Gauche the Cellist セロ弾きのゴーシュ(5)


(5)


The fourth night as he was practicing, a mother mouse came in with her baby, asking him to heal her sick son. When Gauche told her that he wasn't a doctor, she replied that the sound of his music had already healed a number of animals. Gauche put the sick little mouse into a hole of his cello and played a rhapsody. When Gauche finished, the little mouse became fine and was able to run around. The mother mouse cried and thanked Gauche, and left.


次つぎの晩ばんも、ゴーシュは夜よるの間あいだずっとチェロを弾ひいて

明あけ方がた近ちかくになり

思おもわず、つかれて楽譜がくふをもったまま、うとうとしていますと

また誰だれかが戸とをこつこつと叩たたきます。


それも、ほとんど聞きこえないほどの小ちいさな音おとでしたが

毎晩まいばんのことなので

ゴーシュは、すぐに気きが付ついて

「おはいり」と言いいました。


すると、戸とのすきまから入はいって来きたのは

一匹いっぴきの野のねずみでした。

(野のねずみ:a field mouse)


そして、大変たいへん小ちいさな子供こどもをつれて

ちょろちょろとゴーシュの前まえへ歩あるいてきました。


その野のねずみの子供こどもは、とても小ちいさくて、

消けしゴムくらいしかないので

ゴーシュは思おもわず、笑わらいました。


すると野のねずみは

何なにを笑わらわれたのだろう

というように、きょろきょろしながら

ゴーシュの前まえに来きて、

青あおい栗くりの実みを一粒ひとつぶ、前まえにおいて

ちゃんと、おじぎをして

言いいました。

(きょろきょろする:to look around)
(栗くり:chestnut)


「先生せんせい、この子こが病気びょうきで死しにそうです。

 先生せんせい、何なんとか、治なおしてやってください」

(治なおす:to cure)


「おれは医者いしゃじゃないぞ」

ゴーシュは、すこし怒おこって言いいました。


すると野のねずみのお母かあさんは

下したを向むいて、しばらく黙だまっていましたが

また、思おもい切きったように言いいました。


「先生せんせい、それは嘘うそです、

 先生せんせいは毎日まいにち

 あんなに上手じょうずに

 みんなの病気びょうきを治なおしているじゃありませんか」


「何なにを言いっているのか、わからんよ」


「だって先生せんせい

 先生せんせいは、うさぎのおばあさんも、治なおしました。

 たぬきのお父とうさんも、治なおしました。

 あんな意地悪いじわるなふくろうまで、治なおしたじゃないですか。

(ふくろう:an owl)


 それなのに、この子こだけ、助たすけてくれないなんて

 ひどいと思おもいます」


「おいおい、それは何なにかの間違まちがいだよ。

 おれは、ふくろうの病気びょうきなんか

 治なおしてやったことはないからな。

 まあ、たぬきの子こは

 ゆうべ来きて、楽器がっきの練習れんしゅうをして行いったがね」


ゴーシュは、呆あきれて

その子こねずみを見みおろして笑わらいました。


すると野のねずみのお母かあさんは

泣なきだしてしまいました。


「ああ、この子こは

 どうせ病気びょうきになるなら

 もっと早はやくなればよかった。

 さっきまで、あれほど、ごうごうと弾ひいていらっしゃったのに、

 病気びょうきになると、すぐに、ぴたっと音おとがとまって

 もうあとは、いくら、お願ねがいしても

 弾ひいてくださらないなんて。

 何なんて不幸ふしあわせな子供こどもだろう」


ゴーシュは、びっくりして叫さけびました。


「何なんだと?

 ぼくがチェロを弾ひけば

 ふくろうや、うさぎの病気びょうきがなおると。

 どういうわけだ。それは」


野のねずみは、目めを片手かたてでこすりながら言いいました。


「はい、

 このあたりのものは

 病気びょうきになると、みんな先生せんせいのおうちの床下ゆかしたに入はいって

 治なおすのです」


「すると治なおるのか?」


「はい。

 体中からだじゅう、とても血ちのまわりがよくなって

 大変たいへんいい気持きもちで

 すぐ治なおる方かたもいれば

 うちへ帰かえってから治なおる方かたもいます」


「ああそうか。

 おれのチェロの音おとが、ごうごう響ひびくと、

 それが体からだに刺激しげきを与あたえて

 おまえたちの病気びょうきが治なおるというのか。


 よし。わかったよ。やってやろう」


ゴーシュは、ギウギウと弦げんを合あわせて

それから、いきなり、野のねずみの子供こどもをつまんで

チェロの孔あなから中なかへ入いれてしまいました。

(孔あな:f-hole)


「わたしも一緒いっしょについて行いきます。

 どこの病院びょういんでも、そうですから」


お母かあさんの野のねずみは

必死ひっしになって、チェロに飛とびつきました。


「おまえも、入はいるのか」

ゴーシュは

お母かあさんの野のねずみをチェロの孔あなから入いれようとしましたが

顔かおが半分はんぶんしか入はいりませんでした。


野のねずみは、ばたばたしながら

中なかの子供こどもに叫さけびました。


「おまえ、大丈夫だいじょうぶか?

 落おちる時ときは、いつも教おしえるように

 足あしをそろえて、うまく落おちたか?」


「うん。うまく落おちた」


子供こどものねずみは、小ちいさな声こえで

チェロの中なかから返事へんじをしました。


「大丈夫だいじょうぶだ。

 だから、泣なくな」


ゴーシュは、お母かあさんのねずみを

下したにおろして

それから弓ゆみをとって

何なんとかラプソディとかいうものを

ごうごう、があがあ、弾ひきました。

(ラプソディ:rhapsody)


すると、お母かあさんのねずみは

心配しんぱいそうに

その音おとを聞きいていましたが

とうとう、我慢がまんできなくなったようで

「もう十分じゅうぶんです。

 どうか出だしてやってください」

と言いいました。


「なあんだ、これでいいのか」

ゴーシュはチェロを傾かたむけて

孔あなのところに手てをあてて、待まっていましたら

まもなく、子供こどものねずみが出でてきました。


ゴーシュは、だまって、それをおろしてやりました。


見みると、すっかり目めをつぶって

ぶるぶるぶるぶる、ふるえていました。


「どうだったの?

 気分きぶんは、いいかい?」


子供こどものねずみは少すこしも返事へんじをしないで

まだ、しばらく目めをつぶったまま

ぶるぶるぶるぶる、ふるえていましたが

急きゅうに、起おきあがって走はしりだしました。


「ああ、よくなったんだ。

 ありがとうございます。

 ありがとうございます」


お母かあさんのねずみも

一緒いっしょに走はしっていましたが、

まもなく、ゴーシュの前まえに来きて

何度なんども、おじぎをしながら

「ありがとうございます、ありがとうございます」

と十回じっかいぐらい言いいました。


ゴーシュは、何なにか、かわいそうになって

「おい、おまえたちは

 パンは、食たべるのか?」

と、ききました。


すると野のねずみは、びっくりしたように

きょろきょろ、あたりを見みまわしてから

「いえ、もう、パンというものは

 小麦こむぎの粉こなをねってから、蒸むして作つくるもので

 ふっくらと、ふくらんでいて

 美味おいしいものだそうですが、

 そうでなくても

 私わたしたちは、決けっして、おうちの戸棚とだなへなど入はいったことはありませんし

 病気びょうきを治なおしてもらっておきながら、

 それを取とりになんて行いけません」

と言いいました。


「いや、そのことではないんだ。

 ただ、食たべるのかと、きいたんだ。

 では食たべるんだな。

 ちょっと待まてよ。

 その体からだの悪わるい子供こどもへ、やるからな」


ゴーシュはチェロを床ゆかへ置おいて

戸棚とだなのパンをちぎって

野のねずみの前まえへ置おきました。


野のねずみは、

泣ないたり、笑わらったり、おじぎをしたりしてから

大事だいじそうに、それをくわえて

子供こどもと一緒いっしょに外そとへ出でて行いきました。


「あああ。

 ねずみと話はなしをするのも、なかなか疲つかれるなあ」

ゴーシュは、横よこになると

すぐ、ぐうぐう、眠ねむってしまいました。


Kenji Miyazawa: Gauche the Cellist セロ弾きのゴーシュ(4)


(4)


The third night as he was practicing, a Japanese raccoon dog came to him asking to practice the timpani to Gauche's cello accompaniment. As Gauche played "The Merry Master of a Coach Station", the tanuki hit the cello with a drum stick. The tanuki pointed out to Gauche that he played slowly despite trying to play speedily. The two left on good terms as the day broke.


次つぎの晩ばんも、ゴーシュは

夜中よなかすぎまで、チェロを弾ひいて

つかれて水みずを一杯いっぱい飲のんでいますと、

また、何なにかが、戸とをこつこつ叩たたきます。


今夜こんやは、何なにが来きても

昨夜ゆうべのかっこうのように

はじめから、大声おおごえで怒鳴どなって、追おい払はらってやろう

と思おもって

コップをもったまま待まっていました。

(追おい払はらう:to drive away)


すると、戸とがすこし開あいて

一匹いっぴきのたぬきの子こが、はいってきました。

(たぬき:a raccoon dog)


ゴーシュは、そこで

その戸とをもう少すこし広ひろく開ひらくと

どんと、足あしで床ゆかをふんで、

言いいました。


「こら、たぬき、

 おまえは、たぬき汁じるというものを知しっているか?」

と、怒鳴どなりました。

(~汁しる:soup)


すると、たぬきの子こは、ぼんやりした顔かおをして

きちんと床ゆかへ座すわったまま

どうも、わからない

というように首くびをまげて考かんがえていました。


が、しばらくたって

「たぬき汁じるって、ぼく、知しらない」

と言いいました。


ゴーシュは、その顔かおを見みて

思おもわず、笑わらいそうになりましたが、

まだ我慢がまんして、無理むりに恐こわい顔かおをして、

言いいました。


「では教おしえてやろう。

 たぬき汁じるというのは

 おまえのような、たぬきを、

 キャベツや塩しおとまぜて、じっくりと煮にて

 俺おれさまが、食くうようにしたものだ」

と言いいました。


すると、たぬきの子こは、また、ふしぎそうに

「だって、ぼくのお父とうさんがね、

 ゴーシュさんは、とてもいい人ひとで、こわくないから

 行いって習ならえ

 と言いったよ」

と言いいました。


そこで、ゴーシュも、とうとう笑わらい出だしてしまいました。


「何なにを習ならえと言いったんだ。

 おれは、忙いそがしいんだ。

 それに眠ねむいんだよ」


たぬきの子こは、すぐに

元気げんきよく、答こたえました。


「ぼくは、小太鼓こだいこを叩たたくんだ。

 それで、チェロに、合あわせてもらって来こい

 と言いわれたんだ」

(小太鼓こだいこ:a small drum)


「どこにも小太鼓こだいこがないじゃないか」


「そら、これ」

たぬきの子こは、背中せなかから

短みじかい棒ぼうを二本にほん出だしました。


「それで、どうするんだ?」


「それじゃ、

 『愉快ゆかいな馬車屋ばしゃや』を弾ひいてください」

(馬車屋ばしゃや:a coachman)


「なんだ?

 愉快ゆかいな馬車屋ばしゃやって、ジャズか?」

(ジャズ:jazz)


「ああ、これが楽譜がくふだよ」

たぬきの子こは、背中せなかから、また、一枚いちまいの楽譜がくふをとり出だしました。


ゴーシュは

手てにとって、笑わらい出だしました。


「ふう、変へんな曲きょくだなあ。

 よし、さあ弾ひくぞ。

 おまえは、小太鼓こだいこを叩たたくのか?」


ゴーシュは

たぬきの子こが、どうするのか、と思おもって

ちらちら、そっちを見みながら

弾ひきはじめました。


すると、たぬきの子こは、棒ぼうをもって

チェロの下したの方ほうを

ぽんぽん叩たたきはじめました。


それが、なかなかうまいので

弾ひいているうちに、ゴーシュは

これは面白おもしろいぞ、と思おもいました。


最後さいごまで弾ひいてしまうと

たぬきの子こは、しばらく首くびをまげて

考かんがえていました。


それから、やっと、

何なにか、わかった、というような顔かおをして

言いいました。


「ゴーシュさんは、

 この二番目にばんめの弦げんをひくとき、

 少すこし遅おくれるね。

 なんだか、ぼく、つまずきそうになるよ」


ゴーシュは、はっとしました。


たしかに、その弦げんは

どんなに素早すばやく弾ひいても

少すこしたってからでないと

音おとが出でないような気きが、ゆうべからしていたのでした。


「いや、そうかもしれない。

 このチェロが、悪わるいんだよ」

とゴーシュは

かなしそうに言いいました。


すると、たぬきは、気きの毒どくそうにして

また、しばらく考かんがえていましたが

「どこが悪わるいんだろうなあ。

 では、もう一度いちど、弾ひいてくれますか?」


「いいよ。弾ひくよ」

ゴーシュは、はじめました。


たぬきの子こは、

さっきのように、とんとん叩たたきながら、

時々ときどき、頭あたまをまげて、チェロに耳みみをつけました。


そして、最後さいごまで来くると

今夜こんやも、また東ひがしが、ぼうと明あかるくなっていました。


「ああ、夜よが明あけた。どうもありがとう」

たぬきの子こは、大変たいへんあわてて

楽譜がくふや棒ぼうを背中せなかに背負せおって

ゴムで、ぱちんと、とめて

おじぎを、二三度にさんどすると

急いそいで外そとへ出でて行いってしまいました。


ゴーシュは、ぼんやりして、しばらく、

ゆうべ、こわれた窓まどから入はいってくる風かぜを吸すっていましたが、

町まちへ出でて行いくまで眠ねむって、元気げんきをとり戻もどそうと

急いそいで、横よこになりました。


Kenji Miyazawa: Gauche the Cellist セロ弾きのゴーシュ(3)


(3)


The second night as he was practicing, a cuckoo came to him asking to practice scales to Gauche's cello accompaniment. Gauche repeatedly played "cuckoo, cuckoo", accompanied by the bird. Eventually, he felt that the cuckoo's song was better than his cello. Gauche chased the bird away, causing it to fly into his window, hitting its head.


次つぎの晩ばんも、ゴーシュが、また

黒くろいチェロのケースをかついで

帰かえってきました。


そして水みずをごくごく飲のむと

また、前まえの晩ばんと同おなじように

ぐんぐん、チェロを弾ひきはじめました。


十二時じゅうにじが過すぎて、一時いちじもすぎ、二時にじもすぎても

ゴーシュは、まだ、やめませんでした。


それから、もう何時なんじなのかも、わからず

弾ひいていますと

誰だれかが、天井てんじょうをこつこつと叩たたいています。


「猫ねこ、また来きたのか」


ゴーシュが、叫さけびますと

いきなり、天井てんじょうの穴あなから

ぽろんと音おとがして

一羽いちわの灰色はいいろの鳥とりが降おりて来きました。


床ゆかへとまったのを見みると

それは、かっこうでした。

(かっこう:a cuckoo)


「鳥とりまで来くるなんて。

 何なんの用ようだ」

ゴーシュが言いいました。


「音楽おんがくを教おしえてほしいのです」

かっこうは、言いいました。


ゴーシュは、笑わらって

「音楽おんがくだと。

 おまえの歌うたは、かっこう、かっこうというだけじゃないか」


すると、かっこうが、とても真面目まじめに

「ええ、そうなんです。

 けれども、それが、難むずかしいんです」

と言いいました。


「むずかしいもんか。

 おまえたちのは、ただ、たくさん鳴なくだけじゃないか。

 鳴なき方かたなんか、みんな同おなじじゃないか」


「そんなことは、ありません。

 たとえば、かっこうと、こう鳴なくのと

 かっこうと、こう鳴なくのとでは、

 聞きいていても、全然ぜんぜん違ちがうでしょう」


「違ちがわないね」


「では、あなたには、わからないんです。

 わたしたちの仲間なかまなら

 かっこうと一万回いちまんかい鳴なけば、

 一万回いちまんかい、みんな違ちがうんです」


「俺おれには、わからない。

 そんなに、わかってるなら、

 何なにも、おれのところへ来こなくてもいいじゃないか」


「ところが、私わたしは

 ドレミファを正確せいかくに知しりたいんです」


「ドレミファなんて、お前まえたちには、関係かんけいないだろう」


「いいえ、

 外国がいこくへ行いく前まえに、ぜひ、知しりたいんです」


「そんなこと、俺おれには関係かんけいない」


「先生せんせい、どうか、ドレミファを教おしえてください。

 わたしは、一緒いっしょにうたいますから」


「うるさいなあ。

 じゃあ、三回さんかいだけ弾ひいてやるから

 すんだら、さっさと帰かえるんだぞ」


ゴーシュはチェロを取とり上あげて

ボロンボロンと弦げんを合あわせてから

ドレミファソラシドと、弾ひきました。


すると、かっこうは、あわてて

羽はねを、ばたばた、させました。


「ちがいます、ちがいます。

 そんなんじゃないんです」


「うるさいなあ。

 では、おまえ、やってごらん」


「こうですよ」

かっこうは、

体からだを前まえに曲まげて

しばらく、かまえていましたが

それから、

「かっこう」と、一回いっかいなきました。


「何なんだい。それがドレミファか?

 それじゃ、おまえたちには、

 ドレミファも交響曲こうきょうきょく第六番だいろくばんも同おなじなんだな」


「それは違ちがいます」


「どう違ちがうんだ」


「むずかしいのは、これをたくさん続つづけることなんです」


「つまり、こうだろう」

ゴーシュは、またチェロをとって、

かっこう、かっこう、かっこう、かっこう、かっこうと

つづけて弾ひきました。


すると、かっこうは、大変たいへんよろこんで

途中とちゅうから

かっこう、かっこう、かっこう、かっこうと

一緒いっしょに叫さけびました。


それも、もう一生懸命いっしょうけんめい、体からだを曲まげて、いつまでも叫さけぶのです。


ゴーシュは、とうとう手てが痛いたくなって

「こら、いい加減かげんにしないか」

と言いいながら、止やめました。

(いい加減かげんにしろ:That's enough.)


すると、かっこうは

残念ざんねんそうな顔かおをして

まだ、しばらく、鳴ないていましたが

やっと

「……かっこう、かくう、かっかっかっかっか」

と言いってやめました。


ゴーシュが、すっかり怒おこってしまって、

「こら、鳥とり、

 用ようが済すんだら帰かえれ」

と言いいました。


「どうか、もう一度いちど、弾ひいてください。

 あなたのは、正ただしいようだけれども、少すこし違ちがうんです」


「何なんだと。

 おれが、お前まえに教おしえてもらっているわけじゃないぞ。

 帰かえれ」


「どうか、もう一度いちどだけ、お願ねがいします。

 どうか」

かっこうは、頭あたまを何度なんども、下さげました。


「では、これが最後さいごだよ」


ゴーシュは

弓ゆみをかまえました。

(弓ゆみ:bow)


かっこうは、「くっ」と、ひとつ息いきをして

「では、なるべく、長ながくお願ねがいします」

と言いって

また、一ひとつ、おじぎをしました。


「困こまるなあ……」

と、ゴーシュは、にが笑わらいしながら

弾ひきはじめました。

(にが笑わらいする:to smile bitterly)


すると、かっこうは、また一生懸命いっしょうけんめい、

「かっこう、かっこう、かっこう」

と、体からだを曲まげて叫さけびました。


ゴーシュは、

初はじめは、腹はらが立たっていましたが

いつまでも、続つづけて弾ひいているうちに

ふっと、何なんだか、

これは、鳥とりの方ほうが、ほんとうの正ただしいドレミファかもしれない

という気きがしてきました。


弾ひけば弾ひくほど

かっこうの方ほうが、正ただしいような気きがするのでした。


「えい!

 こんな馬鹿ばかなことをしていたら

 おれは鳥とりになってしまうじゃないか」

と、ゴーシュは、いきなりチェロをやめました。


すると、かっこうは

頭あたまを強つよく叩たたかれたように

ふらふらっとして

それから、また、さっきのように

「かっこう、かっこう、かっこう、かっかっかっかっかっ」

と言いってやめました。


それから、ゴーシュを見みると

「なぜ、やめたんですか。

 僕ぼくたちなら、どんなやつでも

 のどから血ちが出でるまでは叫さけぶんですよ」

と言いいました。


「何なにを生意気なまいきな。

 こんな馬鹿ばかなことをいつまでも、していられるか。

 もう出でて行いけ。

 見みろ。夜よるがあけそうじゃないか」


ゴーシュは、窓まどを指ゆびさしました。


東ひがしのそらが

ぼうっと銀色ぎんいろになっています。


「では、太陽たいようが出でるまで。

 どうか、もう一度いちど。

 ちょっとですから」


かっこうは、また、頭あたまを下さげました。


「黙だまれっ。

 いい加減かげんにしろ。

 このばか鳥どりめ。

 出でて行いかんのなら、焼やいて朝飯あさめしに食くってしまうぞ」

ゴーシュは、どんと足あしで床ゆかをふみました。


すると、かっこうは、びっくりしたように

いきなり、窓まどに向むかって飛とび立たちました。


そして、ガラスに、はげしく、ぶつかると

ばたっと下したへ落おちました。


「何なんだ、ガラスへ……

 馬鹿ばかだなあ」


ゴーシュは、あわてて立たって

窓まどをあけようとしましたが

この窓まどは、そんなに簡単かんたんに開あくような窓まどではありませんでした。


ゴーシュが、窓まどを開あけようとしていると、

また、かっこうが

ばっと、ぶつかって下したへ落おちました。


見みると、くちばしから少すこし血ちが出でています。

(くちばし:a bill; a beak)


「今いま、開あけてやるから待まっていろ」

ゴーシュが、やっと少すこしだけ窓まどをあけたとき、

かっこうは起おきあがって

今度こんどこそは、絶対ぜったいに、というように

じっと窓まどの向むこうの東ひがしの空そらをみつめて、

勢いきおいよく、ぱっと飛とびたちました。


もちろん、今度こんどは、前まえよりひどくガラスに当あたって

かっこうは、下したへ落おちたまま、しばらく動うごきません。


つかまえてドアから飛とばしてやろうと

ゴーシュが手てを出だしましたら

いきなり、かっこうは、目めをひらいて

逃にげました。


そして、またガラスへ向むかって

飛とぼうとするのです。


ゴーシュは、思おもわず、足あしを上あげて

窓まどを、ばっと、けりました。


ガラスは、二三枚にさんまい

大おおきな音おとをたてて割われて

外そとへ落おちました。


そのガラスも何なにもなくなったところを

かっこうが、外そとへ飛とびだしました。


そして、もう、どこまでも、どこまでも

まっすぐに飛とんで行いって

とうとう見みえなくなってしまいました。


ゴーシュは、しばらく、呆あきれたように外そとを見みていましたが、

そのまま倒たおれるように

部屋へやのすみで横よこになると

ぐっすり眠ねむってしまいました。

(呆あきれる:to be amazed; to be disgusted)


Kenji Miyazawa: Gauche the Cellist セロ弾きのゴーシュ(2)


(2)


Over the course of four nights, Gauche is visited at his mill house home by talking animals as he is practicing. The first night, a tortoiseshell cat came to Gauche and, giving him a tomato, asked him to play Schumann's "Traumerei". Gauche was irritated, as the tomato was from his garden outside, so he berated the cat and instead played "Tiger Hunt in India". This startled the cat and made it leap up and down in astonishment. The cat ran away in fright.


その晩ばん遅おそく

ゴーシュは、何なにか大おおきな黒くろいものを背負せおって

自分じぶんの家いえへ帰かえってきました。


家いえといっても、それは

町まちはずれの、川かわのそばにある

こわれた水車すいしゃ小屋ごやでした。

(町まちはずれ:outskirts)
(水車すいしゃ小屋ごや:a water mill)


ゴーシュは、そこに、たった一人ひとりで住すんでいて

午前中ごぜんちゅうは、小屋こやのまわりの小ちいさな畑はたけで

トマトの枝えだをきったり

キャベツの虫むしをとったりして

昼過ひるすぎになると、いつも出でて行いっていたのです。


ゴーシュがうちへ入はいって、あかりをつけると

さっきの黒くろいケースをあけました。


それは、あのチェロでした。


ゴーシュは、それを床ゆかの上うえにそっと置おくと、

いきなり、棚たなからコップをとって

バケツの水みずをごくごく飲のみました。


それから、頭あたまを一度いちどふって

椅子いすに座すわると

まるで虎とらみたいな勢いきおいで

ひるに練習れんしゅうした曲きょくを弾ひきはじめました。

(虎とら:tiger)


楽譜がくふをめくりながら

弾ひいては考かんがえ、考かんがえては弾ひき

一生懸命いっしょうけんめい、最後さいごまで行いくと

また、はじめから、何度なんども何度なんども、ごうごうごうごう、弾ひきつづけました。


夜中よなかも、すぎて

ゴーシュは、もう、じぶんが弾ひいているのかどうかも

わからないようになって

顔かおも、まっ赤かになり

目めも、赤あかくなり、

ものすごい顔かおつきになり

いまにも、倒たおれそうでした。


そのとき、誰だれかが、うしろの戸とを

とんとんと叩たたきました。


「ホーシュ君くんか?」

ゴーシュは、寝ねぼけたように叫さけびました。


ところが、すうっと戸とを押おして、入はいって来きたのは

いままで、五六回ごろっかい見みたことのある、大おおきな三毛猫みけねこでした。

(三毛猫みけねこ:a tortoiseshell cat)


ゴーシュの畑はたけからとった

半分はんぶん熟じゅくしたトマトを

とても重おもそうに持もって来きて

ゴーシュの前まえにおろして、言いいました。


「ああ疲つかれた。

 なかなか運搬うんぱんは大変たいへんだ」


「何なんだと」

ゴーシュが言いいました。


「これ、おみやげです。

 食たべてください」

三毛猫みけねこが、言いいました。


ゴーシュは、

昼ひるから、ずっと我慢がまんしていたせいか

急きゅうに大声おおごえで怒鳴どなりました。


「誰だれが、お前まえにトマトなど持もってこいと言いった。

 第一だいいち、おれが、お前まえのもってきたものなど、食くうか。

 それから、そのトマトだって、おれの畑はたけのやつだ。

 何なんだ。赤あかくなってないやつをとってきて。

 出でて行いけ。猫ねこめ」


すると猫ねこは

肩かたをまるくして

目めを細ほそくしていましたが、

口くちのあたりで、にやにや笑わらって

言いいました。


「先生せんせい、そんなに怒おこると、

 体からだに悪わるいですよ。

 それよりシューマンのトロメライを弾ひいてみてください。

 聞きいてあげますから」

(シューマン:Schumann)
(トロメライ:猫ねこがトロイメライ(Traumerei)を間違まちがえて言いっている)


「生意気なまいきなことを言いうな。

 猫ねこのくせに」

(生意気なまいきな:cheeky)


ゴーシュは腹はらが立たったので、

この猫ねこをどうしてやろうか、と考かんがえました。


「いや、遠慮えんりょは要いりません。

 どうぞ。

 わたしは、どうも先生せんせいの音楽おんがくをきかないと、眠ねむれないんです」


「生意気なまいきだ。生意気なまいきだ。生意気なまいきだ」


ゴーシュは

すっかり、まっ赤かになって

昼間ひるまに指揮者しきしゃがしたように

足あしで床ゆかを踏ふみつけて、どなりました。


が、急きゅうに、落おち着ついて

静しずかに言いいました。


「では、弾ひくよ」


ゴーシュは、何なにを思おもったのか

戸とにかぎをかけて

窓まどもみんな閉しめてしまい、

それからチェロをとりだして

明あかりを消けしました。


すると、外そとから、月つきのひかりが、部屋へやのなかへ

半分はんぶんほど、はいってきました。


「何なにを弾ひけと?」


「トロメライ、シューマン作曲さっきょく」

猫ねこは、偉えらそうに言いいました。

(偉えらそう:self-important)


「そうか。トロメライというのは、こういう曲きょくか」


ゴーシュは、何なにを思おもったのか

まず、ハンカチを自分じぶんの耳みみの穴あなへ、ぎっしり、つめました。


それから、まるで嵐あらしのような勢いきおいで

「インドの虎狩とらがり」という曲きょくを弾ひきはじめました。

(狩かり:hunting)


すると、猫ねこは、しばらく、首くびをまげて聞きいていましたが

いきなり、パチパチパチッと、まばたきしたかと思おもうと

ぱっと飛とび上あがって、戸との方ほうへ走はしり出だしました。

(まばたき:blink)


そして、いきなり、どんと戸とへ、ぶつかりましたが

開ひらきませんでした。


猫ねこは、

さあ、これは、もう大変たいへんな失敗しっぱいをしてしまった

というふうに、あわてました。


猫ねこの目めや、額ひたいから、

ぱちぱち火花ひばなを出でました。

(火花ひばな:a spark)


すると

ひげからも、鼻はなからも、火花ひばなが出でましたので

猫ねこは、しばらく、

くしゃみをするような顔かおをしていました。


それから、また

さあ、こうしてはいられないぞ

というように、あわてて、あるきだしました。


ゴーシュは

すっかり面白おもしろくなって

ますます勢いきおいよく弾ひきます。


「先生せんせい、もう、たくさんです。

 たくさんですよ。

 お願ねがいですから、やめてください。

 これからは、もう、偉えらそうなことを言いいませんから」


「だまれ。

 これから虎とらをつかまえるところだ」


猫ねこは、

くるしそうな顔かおをして

飛とび上あがったり、回まわったり

壁かべに、体からだを押おし付つけたりしました。


しまいには、猫ねこは、まるで風車ふうしゃのように

ぐるぐるぐるぐる、ゴーシュのまわりを

まわりました。

(風車ふうしゃ:a windmill)


ゴーシュも、すこし、目めが回まわって来きましたので、

「さあ、これで許ゆるしてやるぞ」

と、言いいながら、やっと、やめました。

(目めが回まわる:to feel dizzy)


すると猫ねこも、平気へいきな顔かおをして

「先生せんせい、今夜こんやの演奏えんそうは、どうかしていますね」

と言いいました。


ゴーシュは

また、腹はらが立たったのですが

まるで、何なにも気きにしていない、というように

タバコを一本いっぽんだして、くわえました。


それから、マッチを一本いっぽん、手てに持もつと

言いいました。


「どうだい。

 体からだの調子ちょうしは悪わるくないか?

 さあ、舌したを出だしてごらん」


猫ねこは、ばかにしたように

とがった長ながい舌したをベロリと出だしました。


「ははあ、少すこし荒あれてるね」

(荒あれている:rough)


ゴーシュは、そう言いいながら

いきなり、マッチを舌したでシュッとすって

自分じぶんのタバコへ、火ひをつけました。


猫ねこは驚おどろいて

舌したを、くるくる、まわしながら、

入いり口ぐちの戸とのところへ行いって

頭あたまで、どんと、ぶつかっては、

よろよろとして、また戻もどって来きて

どんと、ぶつかっては

よろよろ、また戻もどって来きて

また、ぶつかっては

よろよろ

何なんとかして、逃にげようとしました。


ゴーシュは、しばらく面白おもしろそうに見みていましたが

「出だしてやるよ。もう来くるなよ。ばか」

と、言いうと

戸とをあけて

猫ねこを逃にがしてやりました。


そして

猫ねこが風かぜのように走はしって行いくのを見みて、

ちょっと笑わらいました。


それから、横よこになると、

ぐっすり眠ねむりました。


Kenji Miyazawa: Gauche the Cellist セロ弾きのゴーシュ(1)


セロ弾ひきのゴーシュ(Gauche the Cellist)


宮沢みやざわ賢治けんじ(Kenji Miyazawa)



(1)


Gauche is a diligent but mediocre cellist who plays for a small-town orchestra, The Venus Orchestra, and the local cinema in the early 20th century. He struggles during rehearsals and is often berated by his conductor during preparations for an upcoming performance of Beethoven's Sixth Symphony (the Pastoral Symphony).


ゴーシュは町まちの映画館えいがかんの楽団がくだんで

チェロを弾ひいていました。

(セロ=チェロ:cello)
(楽団がくだん:an orchestra; a band)


けれども、あまり上手じょうずではない

という評判ひょうばんでした。


実じつは、その楽団がくだんのメンバーのなかでは

一番いちばん下手へたでした。


だから、いつでも指揮者しきしゃに

いじめられるのでした。

(指揮者しきしゃ:a conductor)


ひるすぎ、みんなは

部屋へやで、まるく並ならんで

今度こんどの町まちの音楽会おんがくかいで演奏えんそうする

交響曲こうきょうきょく第六番だいろくばんの練習れんしゅうをしていました。

(交響曲こうきょうきょく:a symphony)


トランペットは、一生懸命いっしょうけんめい、歌うたっています。

バイオリンも、二色にしょくの風かぜのように、鳴なっています。

クラリネットも、ボーボーとそれを手伝てつだっています。


ゴーシュも

目めを大おおきく開あけて

楽譜がくふを見みつめながら

弾ひいています。

(楽譜がくふ:sheet music; score)


突然とつぜん、ぱたっと指揮者しきしゃが両手りょうてを鳴ならしました。


みんな、ぴたりと

曲きょくをやめて

静しずかになりました。


指揮者しきしゃが怒鳴どなりました。

「チェロがおくれた。

 トォテテ テテテイ、

 ここから、やり直なおし。はいっ」


みんなは、今いまのところの少すこし前まえのところから

やり直なおしました。


ゴーシュは顔かおをまっ赤かにして

額ひたいに汗あせを出だしながら

やっと、いま言いわれたところを通とおりすぎました。


ほっと安心あんしんしながら、

つづけて弾ひいていますと

指揮者しきしゃが、また、手てをぱっと叩たたきました。


「チェロっ。

 チューニングがおかしい。

(チューニング:tuning)


 困こまるなあ。

 ぼくは、きみに、

 ドレミファを教おしえているひまは、ないんだがなあ」

(ドレミファ:the musical scale)


みんなは、気きの毒どくそうにして

わざと、自分じぶんの楽譜がくふをのぞき込こんだり

自分じぶんの楽器がっきを弾ひいてみたりしています。


ゴーシュは、あわてて、

弦げんを合あわせました。

(弦げん:a string)


これは、じつは

ゴーシュも悪わるいのですが

チェロもずいぶん悪わるいのでした。


「今いまの前まえのところから。はいっ」


みんなは、また、はじめました。


ゴーシュも、口くちをまげて

一生懸命いっしょうけんめいです。


そして、こんどは、かなり進すすみました。


いい調子ちょうしだと思おもっていると

指揮者しきしゃが、おどすような姿勢しせいをして

また、ぱたっと手てを叩たたきました。


またかとゴーシュは、どきっとしました

が、ありがたいことに

こんどは、別べつの人ひとでした。


ゴーシュは、そこで

さっき、自分じぶんのとき、みんながしたように

わざと、自分じぶんの楽譜がくふへ目めを近ちかづけて

何なにか考かんがえるふりをしていました。


「では、すぐ今いまの次つぎ。はいっ」


それ!と、思おもって弾ひき出だしたかと思おもうと

いきなり、指揮者しきしゃが足あしで床ゆかをどんと踏ふんで

どなり出だしました。


「だめだ。

 このへんは、曲きょくの心臓しんぞうなんだ。

 それが、こんなに、騒さわがしくて……。


 みなさん。

 演奏会えんそうかいまで、もうあと十日とおかしかないんだよ。


 音楽おんがくを専門せんもんにやっているぼくらが

 あんな趣味しゅみでやっているような町まちの連中れんちゅうに負まけてしまったら

 一体いったいどうするんだ。


 おいゴーシュ君くん。

 君きみには、困こまってしまう。

 君きみの演奏えんそうには、表情ひょうじょうがない。

 怒おこるとか、喜よろこぶとか、そういう感情かんじょうが

 全まったく、ないんだ。


 それに、どうしても

 他ほかの楽器がっきと、ぴったり合あわない。


 いつでも、きみだけ

 ほどけた靴くつのひもを引ひきずって

 みんなのあとを歩あるいているようなんだ。


 困こまるよ、

 しっかりしてくれないとねえ。


 君きみ一人ひとりのために、

 この立派りっぱな楽団がくだんの評判ひょうばんが下さがってしまったのでは

 みんなにも、申もうし訳わけないからな。


 では、今日きょうの練習れんしゅうはここまで、

 休やすんで、六時ろくじには、遅おくれずにボックスへ入はいってくれ」

(ボックス:楽団がくだんが演奏えんそうする場所ばしょ)


みんなは、おじぎをして、

それから、たばこをくわえてマッチをすったり

どこかへ、出でて行いったりしました。

(マッチをする:to strike a match)


ゴーシュは

その汚よごれた箱はこのようなチェロをかかえて

壁かべの方ほうへ向むいて

口くちをまげて

ぼろぼろ涙なみだをこぼしました。


が、

しばらくして気持きもちが落おち着つくと

彼かれ一人ひとりだけ、今いまやったところを、

はじめから、しずかに、もう一度いちど、弾ひきはじめました。


Soseki Natsume: KOKORO こころ(5)


(五)


先生せんせいは、墓はかにいた。

それは、先生せんせいの友達ともだちの墓はかだ、

と言いった。





私わたくしは

墓地ぼちに入はいると

両方りょうほうに、かえでが植うえてある、広ひろい道みちを

奥おくの方ほうへ進すすんで行いった。

(かえで:maple-trees)


すると

向むこうに見みえる茶店ちゃみせの中なかから

先生せんせいらしい人ひとが、出でて来きた。

(茶店ちゃみせ:tea house)


私わたくしは

先生せんせいの近ちかくまで行いった。


そうして、急きゅうに

「先生せんせい」と

大おおきな声こえをかけた。


先生せんせいは、突然とつぜん、立たち止どまって

私わたくしの顔かおを見みた。

(立たち止どまる:to stop、歩あるくのを止やめる)




「どうして……、どうして……」

先生せんせいは、同おなじ言葉ことばを

二度にど、繰くり返かえした。


その言葉ことばは

静しずかな昼ひるに

何なにか普通ふつうではない調子ちょうしで

繰くり返かえされた。

(調子ちょうし:a tone)


私わたくしは、急きゅうに

何なんとも答こたえられなくなった。


「私わたくしの後あとをつけて来きたのですか。

 どうして……」

(後あとをつける:to follow)


先生せんせいの態度たいどは

むしろ、静しずかだった。

(態度たいど:an attitude)


声こえは

むしろ、沈しずんでいた。


けれども

その表情ひょうじょうの中なかには

はっきり、いえないような

一種いっしゅの曇くもりがあった。

(曇くもり:gloom)




私わたくしは

私わたくしが、どうして、ここへ来きたかを

先生せんせいに話はなした。


「誰だれの墓はかへ行いったのか、

 妻つまは

 その人ひとの名なを言いいましたか」


「いいえ、

 そんなことは何なにも、おっしゃいません」


「そうですか。

 ──そう、

 それは、言いうはずがありませんね、

 初はじめて会あった、あなたに。

 言いう必要ひつようがないんだから」


先生せんせいは

ようやく納得なっとくしたらしい様子ようすだった。

(納得なっとくする:to be convinced)


しかし

私わたくしには

その意味いみが、まるで、わからなかった。




先生せんせいと私わたくしは

通とおりへ出でようとして

墓はかの間あいだを抜ぬけた。


依撒伯拉何々イサベラなになにの墓はかとか、

神僕しんぼくロギンの墓はかとかのそばには、

一切衆生悉有仏生いっさいしゅじょうしつうぶっしょうと書かいた

塔婆とうばなどが、あった。

(塔婆とうば:stupa)


全権公使何々ぜんけんこうしなになにというのもあった。


私わたくしは

<安得烈>と書かいた

小ちいさい墓はかの前まえで、

「これは何なんと読よむんでしょう」

と先生せんせいに聞きいた。


「アンドレとでも読よませるつもりでしょうね」

と言いって

先生せんせいは、少すこし笑わらった。


先生せんせいは

これらの墓はかが表あらわす

人ひとの様々さまざまな表現ひょうげんに対たいして、

私わたくしほどに

ユーモアを感かんじないらしかった。


私わたくしが

丸まるい墓石はかいしや、細長ほそながい碑ひを指さして、

あれこれと言いうのを、

先生せんせいも、初はじめは、黙だまって聞きいていたが、

(碑ひ:monument)


しまいに

「あなたは

 死しという事実じじつを

 まだ、まじめに考かんがえたことが

 ありませんね」

と言いった。


私わたくしは黙だまった。


先生せんせいも、それ以上いじょう

何なにも、言いわなかった。




墓地ぼちと墓地ぼちの間あいだに

大おおきな銀杏いちょうが一本いっぽん

空そらを隠かくすように立たっていた。

(銀杏いちょう:gingko-tree)


その下したへ来きた時とき、

先生せんせいは

木きの上うえの方ほうを見上みあげて、


「もう少すこしすると、きれいですよ。

 すっかり、葉はの色いろが黄色きいろに変かわり

 地面じめんは

 金色きんいろの落葉おちばで、いっぱいになります」

と言いった。

(地面じめん:ground)
(金色きんいろ:golden)
(落葉おちば:fallen leaves)


先生せんせいは

月つきに一度いちどずつは、必かならず

この木きの下したを通とおるのだった。




向むこうの方ほうで

新あたらしい墓地ぼちを作つくっている男おとこが、

手てを休やすめて

私わたくしたちを見みていた。


私わたくしたちは、そこから左ひだりへ曲まがって

すぐ、通とおりへ出でた。


これから、どこへ行いくか、決きめていない私わたくしは、

ただ先生せんせいの歩あるく方ほうへ

歩あるいて行いった。


先生せんせいは

いつもより話はなしをしなかった。


それでも、私わたくしには

特とくに気きにならなかったので、

ぶらぶら、いっしょに歩あるいて行いった。


「すぐ、お宅たくへ、お帰かえりですか」


「ええ

 別べつに行いくところもありませんから」




二人ふたりは

また黙だまって

南みなみの方ほうへ坂さかを下おりた。


「先生せんせいのお宅たくの墓地ぼちは

 あそこに、あるんですか」

と、私わたくしは聞きいた。


「いいえ」


「どなたのお墓はかがあるんですか。

 ──ご親戚しんせきのお墓はかですか」


「いいえ」


先生せんせいは

これ以外いがいに何なにも答こたえなかった。


私わたくしも

それ以上いじょう、聞きかなかった。


すると、少すこし歩あるいた後あとで、

先生せんせいが、ふと、そこへ戻もどって来きた。


「あそこには、私わたくしの友達ともだちの墓はかが

 あるんです」


「お友達ともだちのお墓はかへ

 毎月まいつき

 お参まいりをなさるんですか」

(お参まいりをなさる:to visit)


「そうです」


先生せんせいは、その日ひ

これ以外いがい、何なにも言いわなかった。