■人間失格(No Longer Human)
太宰治(Osamu Dazai)
はしがき(Prologue)
ある男の、奇妙な三枚の写真について。
はしがき(PROLOGUE)
私は
その男の写真を三枚
見たことがある。
一枚は
その男の、子供時代
十歳前後の写真だった。
その子供は
大勢の女の中に、いた。
それは
その子供の姉たち
妹たち
それから、親戚たちだろう。
子供は
庭の池のそばに立って
みにくく笑っている。
みにくく?
世の中には
その写真を見せられても
「かわいい子供ですね」
などと言う人が、いるかもしれない。
つまり
美しいものに関心のない人たちなら
つまらなさそうに
そんなことを言うかもしれない。
しかし
その言葉も
もしかすると、本当かもしれない
と思ってしまうくらいの「かわいさ」みたいなものが
その子供の笑顔にはあった。
が、しかし
少しでも
美しいものを見て、知っている人なら
その写真を少し見ただけで、すぐに
「なんて、いやな子供だ」
と、言うだろう。
そして
写真を
投げ捨ててしまうかもしれない。
その子供の笑顔は
見れば見るほど
何とも言えない気味の悪いものを
感じる。
そもそも、それは、笑顔ではない。
この子は
少しも笑ってはいないのだ。
なぜなら、
この子は
両方の手のこぶしを
固く握って
立っている。
人間は
こぶしを固く握りながら
笑うことはできない。
猿だ。
猿の笑顔だ。
ただ
顔にしわが
あるだけなのである。
見ている人の気分を悪くさせるような、
そんな奇妙な表情の写真であった。
私は、これまで
こんな不思議な表情の子供を
見たことがなかった。
二枚目の写真の顔は
また
びっくりするくらい変わっていた。
学生の姿である。
高校時代の写真か
大学時代の写真か
はっきりしない。
が
とにかく、おそろしくハンサムな学生である。
しかし
これもまた、不思議にも
生きている人間の感じはしなかった。
学校の制服を着て
胸のポケットからは、
白いハンカチが見えている。
そして
椅子に座って
足を組んでいる。
そして、やはり
笑っている。
こんどの笑顔は
猿の笑顔ではない。
大人の、ほほ笑みである。
が、しかし
人間の笑いと、どこか違う。
その表情から、
生きている人間の血だとか、
命だとか、
そのようものを感じることができない。
それは
鳥の形をしていても
鳥の毛が、あるだけのように、
とても軽い。
まるで、
何も書いていない、ただの白い紙が
一枚あるだけである。
そして、笑っている。
つまり
すべてが、嘘なのである。
本物ではないのである。
しかも
よく見ていると
このハンサムな学生にも
何か気味の悪いものが感じられる。
私は、これまで
こんな不思議な青年を
見たことが、なかった。
もう一枚の写真は
最も奇妙なものである。
もうとしが、わからない。
頭の髪は
少し白くなっているようである。
ひどく汚い部屋のすみに
座っている。
部屋の壁が
三ヶ所ほど、壊れているのが、
その写真にハッキリ写っている。
小さい火鉢で
両手を温めている。
こんどは笑っていない。
どんな表情もない。
いわば
座って、火鉢で両手を温めながら
死んでいるような
本当に気味の悪い写真であった。
気味の悪いのは
それだけではない。
その写真には
顔が大きく写っていた。
だから
私は
その顔を
丁寧に調べることができた。
額は普通
額のしわも普通
眼も普通
鼻も口もあごも……
ああ、この顔には表情がない。
印象さえない。
特徴がないのだ。
たとえば
私がこの写真を見て
目をとじる。
既に私は
この顔を忘れている。
部屋の壁や
小さい火鉢は
思い出すことができる。
けれども
その部屋に座っている男の顔は
思い出せない。
顔の印象は
すっと消えてしまい
どうしても、思い出せない。
絵にならない顔である。
漫画にもならない顔である。
目をひらく。
あ、こんな顔だったのか
と思い出す。
思い出しても
よろこびさえない。
まるで、
目をひらいて、その写真を再び見ても
思い出せない、
そんな顔である。
そうして
見ただけで、
イライラして、気分が悪くなるような顔である。
「死んだ人間の顔」でも
もっと何か
表情や印象がある。
人間のからだに
馬の首をつけたら
こんな感じになるのだろうか……
とにかく
見る者を
いやな気持ちにさせるのだ。
私は、これまで
こんな不思議な男の顔を
見たことが、なかった。
⇒ Osamu Dazai: No Longer Human(人間失格)(1)